オーストリアは、かつて名門ハプスブルク家の統治下、中央から東欧をまたぐ大帝国を形成していた。20世紀に入ると第一次大戦に敗れ帝国は崩壊、小国となったオーストリアは、一時はナチス・ドイツに吸収された。
第二次大戦後、新生オーストリアは「永世中立国」として再スタートを切り、それは今も国民の支持を得ている。
12世紀にオーストリア公国が誕生し首都がウィーンに移されたのが国としてのオーストリアの始まり。
13世紀にハプスブルク家がオーストリアを領地とし、15世紀半ば以降はハプスブルク家が神聖ローマ帝国の帝位をほぼ独占した。
ハプスブルク家は政略結婚により、イタリア半島、スペイン、ブルゴーニュ、ボヘミア、ハンガリーの王位継承権を得て支配地を拡大した。
ハプスブルク家が支配するオーストリアは、近代ヨーロッパの大きな流れであった宗教改革(プロテスタント)、民族主義=国民国家、市民革命に対して旧勢力側だった。戦争には負けることが多く、産業の発展も目立ったものはない。
にもかかわらず、18世紀に女帝マリア・テレジアが文化を振興して音楽の都となり、息子のヨーゼフ2世は宗教寛容令を発したことからプロテスタントやユダヤ人の商工者をはじめ多くの民族がウィーンに集まった。
19世紀、ナポレオンに敗れ神聖ローマ帝国は崩壊し、ナポレオン失脚後のウィーン体制の下でも民族独立運動や市民革命の影響があり、1866プロイセンとの戦争には敗れた。それでもオーストリアはオーストリア・ハンガリー二重帝国として帝国を維持した。そして冒頭の20世紀に続く。